本文へスキップ

お知らせ岩手は日本の何なのか−“東の薩摩”のものがたり』


 シリーズ1 早稲田大学の源流/早稲田と大隈家の物語(1)


  初代校長を知ってますか?


 早稲田の初代校長って、誰だか知ってますか?−−。

 東京で早稲田大学のOBに聞くと、まず、こう答える。

「そう聞いてくるってことは、大隈重信ではないってことだよね。となると、うーん、誰だろう?」

 結局、答えは出てこない。これはあくまで私の周囲での話だが、仮に全校的なアンケートをしたとしても、正答できるのは少数派だろう。もし正答できるとしたら、その人はほとんど“早稲田オタク”の域にあると言っていい。

 早稲田といえば、大隈重信。ただし、大隈は早稲田の初代校長ではない。早稲田大学のホームページを見ると、「大隈重信は早稲田大学の創設者」と慎重に言葉を選んでいるが、「創設者」であって「校長」ではない。

 現在、早稲田大学としての最高責任者は「総長」と呼ばれているが、設立当初は「校長」と呼んでいた。当然、初代はいる。その知られざる初代校長とはいったい誰なのか。

 その答えは、大隈英麿(おおくま・ひでまろ)である。

 と言われても、一般の方からすれば、それでもピンとこないのではないか。大隈と名乗っているからには、大隈重信の親族か、ぐらいの連想しか働かないだろう。

 しかし、明治15年10月21日、早稲田大学の前身となる東京専門学校の開校式で、「開校の詞」を宣言したのは、大隈重信ではなく、英麿だった。

 天下更始、新主義ノ学マサニ起ル−−。

 これが英麿が宣言した早稲田大学の「開校の詞」であり、1世紀以上に及ぶ歴史の始まりだった。

 それにしても。なぜ、初代校長である英麿がこれほどまでに知られていないのか。次回以降、その謎を解き明かしていきながら、早稲田大学の源流を探っていくこととしたい。

前のページ 次のページ


 【You tube リンク】
 
 早稲田大学創立記念日「応援部アニバーサリーステージ」Vol.1wasedaSPORTSより
 東日本大震災の年に行われた創立記念の式典では「WASEDAの杜からがんばろう東北」との
 メッセージが込められたが、もともと早稲田のDNAの中には東北そして岩手がある


  ◆『岩手は日本の何なのか−“東の薩摩”のものがたり』◆  目次
 
  はじめに 前編              岩手と言って思い浮かぶもの
  はじめに 後編              薩摩と南部
  シリーズ1 早稲田大学の源流(1)  初代校長を知ってますか?
  シリーズ1 早稲田大学の源流(2)  それは百年の恋から始まった(上)
                     それは百年の恋から始まった(下)
  シリーズ1 早稲田大学の源流(3)  東京専門学校の設立と英麿(上)
                     東京専門学校の設立と英麿(中)
                     東京専門学校の設立と英麿(下)
  シリーズ1 早稲田大学の源流(4)  不運の英麿(上)
                     不運の英麿(中)
                     不運の英麿(下)
  シリーズ1 早稲田大学の源流(5)  英麿離縁の波紋(上)
                     英麿離縁の波紋(中)
                     英麿離縁の波紋(下)
  シリーズ1 早稲田大学の源流(6)  大隈家の亀裂(上)
                     大隈家の亀裂(中)
                     大隈家の亀裂(下)
  シリーズ1 早稲田大学の源流(7)  新生・早稲田大学へ(上)
                     新生・早稲田大学へ(中)
                     新生・早稲田大学へ(下)
  シリーズ1 早稲田大学の源流(8)  その後の英麿と熊子(上)
                     その後の英麿と熊子(中)
                     その後の英麿と熊子(下)
  シリーズ1 早稲田大学の源流(番外編)英麿さんのいた早稲田(写真特集)