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小林一三の『ビジネスに効く言葉』 (まいつき、一三!)

小林一三のビジネスに効く言葉


 はじめに 時代を超越する仕事の極意



 近代日本を変えた男ーー。

 そう言われる人間は数多くあげられるでしょう。ですが、「日本人の暮らしを変えた男」とより厳密に言うならば、小林一三(こばやし・いちぞう)の名を真っ先にあげることができます。

 一三さんが社会人として活躍したのは、明治の中期から戦後の高度成長期に入る直前までの時期です。明治中期と言えば、維新から20年余を経たとはいえ、街中ではまだ江戸時代の雰囲気が残っていました。

 それから半世紀余り。昭和30年代に入ると、日本の高度成長が始まり、現代の日本社会の原型が見えてきます。

 その間を生き、橋渡しをしたのが、小林一三。ニッポンの元祖ベンチャー企業家とも言える人物です。

 一三さんは、明治26年に三井銀行に入行して、その社会人人生をスタートさせました。30代で当時のベンチャービジネスだった私鉄業界に転じ、「通勤電車」という概念を世間に定着させる一方、演劇(歌劇)や映画といった現代人向けの娯楽を産み出しました。鉄道が電気を動力としていた関係から、電力会社の経営にも携わり、電気の社会的な普及にも努めています。

 これらの産業は、今でこそ我々現代人の暮らしに、当たり前のようにとけ込んでいますが、当初は、奇抜なアイデアと大変な苦労があって、少しずつ発展してきたものであり、その真ん中に小林一三という人物がいたのです。

 ただ、一三さんは最終的には成功を収めたものの、その過程ではかなり苦労した人物です。銀行員時代は出世コースから早い段階で脱落して、うだつの上がらない日々を過ごしていたし、ベンチャービジネスに転じてからも綱渡りの経営が続きました。

 このような苦労人でもあるだけに、その言葉には独特の味があります。

 それだけに、彼の言動は当時のビジネスマンばかりか、これから世に出ようとする若者からも注目を浴びました。一三さん自身、書くことが好きだったので、生前、数多くの著作物を世に送り出してもいます。

 これらは、その死後半世紀を超えた現在でも色あせることはありません。確かに、説明上のたとえ話に関しては、古臭さがあります。ただ、その言わんとするエッセンスについては、今でも通用することばかりです。

 そこで、ここでは、『小林一三のビジネスに効く言葉』として、その名言を月1回のペースでご紹介していきたいと思います。

 ちまたでは、元プロテニス選手、松岡修造さんの言葉を紹介した日めくり形式のメッセージ集、『まいにち、修造!』が話題となっています。実はこの方、一三さんのひ孫にあたります。

 『まいにち、修造!』は「ニッポンの応援団長」的な存在である修造さん独特の語り口で、現代人に応援メッセージを送るという内容ですが、実はそれと同じようなことを一世紀近く前に彼のひいおじいさんがやっていたんですね。何かDNAのようなものを感じてしまいます。

 と考えれば、こちらの方がある意味で元祖。「まいつき、一三!」のスタートです。

最初の言葉


小林一三

小林一三(こばやし・いちぞう)

明治6(1873)年1月3日、山梨県韮崎市生まれ。明治25(1892)年、慶應義塾大学卒業。翌年、都新聞に入社予定も直前に破談、三井銀行入行、大阪支店へ。明治40(1907)年、同行を退職、箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)の経営に参画。昭和2(1927)年、阪急電鉄社長。昭和3(1928)年、東京電力の前身である東京電燈副社長就任。昭和7(1932)年、東京宝塚劇場(後の東宝)創立。昭和15(1940)年、第2次近衛内閣で商工大臣就任。昭和32(1957)年、死去。享年84歳。大仙院殿真覚逸翁大居士。元プロテニス選手でタレントの松岡修造はひ孫にあたる


【関連書籍】



 拙著。一三さんの波瀾万丈な生涯を描きました





  小林一三のビジネスに効く言葉 目次
 
  はじめに−時代を超越する仕事の極意
  自分の持つ長所を確信すること
  若い人にはなおさら夢がなければならない
  着想とは現在の仕事にベストを尽くす中から生まれる
  自分は運命論者であり、努力第一主義者である
  何よりも人間は独立自尊で生き抜かねばならぬ
  中小企業は金のある人には決してできない
  世の中とは本当におかしなものである
  青年の希望は達せられないのが原則と思わねばならぬ
  有用の材たらんとする青年は平凡でなければならぬ
  自分の計算から出発せざること
  事業の基礎を大衆に置く