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小林一三の『ビジネスに効く言葉』 (まいつき、一三!)

小林一三のビジネスに効く言葉


 有用の材たらんとする青年は平凡でなければならぬ



 一三さんは『私の行き方』の中で、若者が組織の中で出世するにはどうすればいいかと問われ、「平凡即非凡」という言葉をあげています。

 「学窓を出たばかりの、従って理想の高い青年は、平凡ということを知ってこれを軽んずるが、平凡の非凡という事を知る者が少ない。平凡の非凡とは、平凡な事を忠実に真面目に実行する事以外にはない」

 当たり前のような気もしますが、経営者として数多くの若い社員を見てきた一三さんの見方は違います。

 「平凡なことを忠実に行って平凡の非凡を発揮しうる青年が極めて少ない。100人に1人と言いたいがそれも怪しいものである」。

 「平凡なことを行ったのでは認められないと思う者もあるだろう。しかしこれは間違った考えである。平凡なことを繰り返し1年、2年、3年と行っているうちに、必ず使う者から認められて、出世の緒が開かれるのである」。

 また、一三さんはこうも言っています。

 「青年の中には言いつけられた仕事を、時間より早めに片づけては損だ、次の仕事をまた言いつけられる恐れがある、ゆえに決められた時間に仕上げて上役のところへ持って行こう、などと合理的な考えを起こす者があるが、これもまた出世の妨げになる」。

 「後から後からと仕事を割り当てられることは青年の名誉ではないか。つまりその青年がいかに有用の材なるかを裏書きするものではないか。月給は据え置きなのに仕事は増加する、これではやり切れぬなどと嘆いてはならぬ」。

 そして、こう結論づけています。

 貸し方の努力を払っている間に自ら地位は向上するのである

 これが一三さんの考える出世術です。

 ただこれは、後年、経営者になってから、つまり上司の側から見た、「こんな若者を取り立てたい」といった見方であって、一三さん自身が大学を出て三井銀行に勤め始めたころがどうだったかと言えば、お世辞にもそんな若者ではありませんでした。

 この話の最後には次の一文が添えられています。

 「会社勤めのごときは人間共同生活の標本なれば、同僚間の融和という点によく気をつけなければならぬ。仕事さえよくできれば、それで良いというものではない。ぶっきら棒ではいけない。愛嬌も必要である」。

 これは「ぶっきら棒で愛想がない」などと言われたご本人自身による、若い頃を振り返っての反省の弁なのでしょう。


 注)引用した本文の一部は、著者が現代語訳しています。

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小林一三

小林一三(こばやし・いちぞう)

明治6(1873)年1月3日、山梨県韮崎市生まれ。明治25(1892)年、慶應義塾大学卒業。翌年、都新聞に入社予定も直前に破談、三井銀行入行、大阪支店へ。明治40(1907)年、同行を退職、箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)の経営に参画。昭和2(1927)年、阪急電鉄社長。昭和3(1928)年、東京電力の前身である東京電燈副社長就任。昭和7(1932)年、東京宝塚劇場(後の東宝)創立。昭和15(1940)年、第2次近衛内閣で商工大臣就任。昭和32(1957)年、死去。享年84歳。大仙院殿真覚逸翁大居士。元プロテニス選手でタレントの松岡修造はひ孫にあたる


【関連書籍】



 拙著。一三さんの波瀾万丈な生涯を描きました




  小林一三のビジネスに効く言葉 目次
 
  はじめに−時代を超越する仕事の極意
  自分の持つ長所を確信すること
  若い人にはなおさら夢がなければならない
  着想とは現在の仕事にベストを尽くす中から生まれる
  自分は運命論者であり、努力第一主義者である
  何よりも人間は独立自尊で生き抜かねばならぬ
  中小企業は金のある人には決してできない
  世の中とは本当におかしなものである
  青年の希望は達せられないのが原則だと思わねばならぬ
  有用の材たらんとする青年は平凡でなければならぬ
  自分の計算から出発せざること
  事業の基礎を大衆に置く