本文へスキップ

小林一三の『ビジネスに効く言葉』 (まいつき、一三!)

小林一三のビジネスに効く言葉


 世の中とは本当におかしなものである



 一三さんは社会人になって、はじめから独立して経営者になろうと思っていたわけではありません。

 もともとは文章を書くのが好きで、大学卒業後は新聞記者になろうとしていたのですが、決まりかけていた最後の最後で話が立ち消えになり、仕方なく三井銀行に入ります。

 仕方なく入ったところだったので、仕事にも身が入りません。漫然としたサラリーマン生活を送っていました。

 「サラリーマンとしても、銀行員としても、ひとつとして自ら誇るに足るものはなく、(中略) ただ、『三井』という財閥機構の末端で、『三井銀行』という持てるものの力の下で、うかうか数カ年をいい気ですごしてしまった」(『私の生活信条』より)

 また、晩年になって大成功を収めた後でも

 「僕は事業家になれるべきものとは思っていなかったし、またなろうとも思っていなかった。それに多数の人を使っていく上に、今でも何もそれほど人に卓越したものをもっているとも思わない」。

と考えていました。

 そんな一三さんが、なぜその後半生で日本を代表するようなベンチャー起業家と呼ばれるようになったのかと言えば、自身、「一切は偶然による結果」と断言しています。

 たしかに脱サラは自らの意思でしたが、それもすぐに夢やぶれます。証券会社設立のために三井銀行を辞めて、大阪に来たはいいのですが、日露戦争後の不況で計画は頓挫、失業してしまいました。

 それを見た昔の上司が「小林がかわいそうだから」と鉄道会社の支配人の職を斡旋してくれたおかげで、鉄道業界に入ります。

 ただそれも、最初はあくまでサラリーマンとして支配人を務めていたに過ぎません。しかし、後ろ盾だった岩下清周の失脚により、やむを得ず株を買い取り、予期せぬ形で企業家となりました。あくまで偶然の結果でした。

 こうした状況を振り返っての

 世の中とは本当におかしなものである

という言葉です。

 そんな状況からのサクセスストリーとなったわけですが、ご本人は

 「誰にでもあり得るその偶然の機会を、できるだけ生かし、できるだけ利用する何かが、僕は僕なりに、僕のどこかにいつの間にかくっついて来たものらしい」。

とクールに分析しています。

 人事を尽くして天命を待つ、とはよく言われますが、人によっては、特に、歴戦の起業家の中には、

 天命を知って人事を尽くす

という人がいます。偶然に起きた出来事かもしれないが、それを天命ととらえて、その中で一生懸命に頑張る、という意味です。一三さんもそういった考え方です。

 ただ、こうした偶然を生かし、自らの意思で行動できるのは、組織を離れ、独立した人間でなければできません。

 「今時の若い人々に大企業、大銀行の宮仕えばかりそう狙わないで、独立独行の自由コースを選べといったのは、実はここのところを指すのである」。

 おかしなことの起きる世の中だからこそ、それを活かすことのできる位置に立ちなさい、ということを一三さんは言っているのです。


 注)引用した本文の一部は、著者が現代語訳しています。

前の言葉 次の言葉



小林一三

小林一三(こばやし・いちぞう)

明治6(1873)年1月3日、山梨県韮崎市生まれ。明治25(1892)年、慶應義塾大学卒業。翌年、都新聞に入社予定も直前に破談、三井銀行入行、大阪支店へ。明治40(1907)年、同行を退職、箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)の経営に参画。昭和2(1927)年、阪急電鉄社長。昭和3(1928)年、東京電力の前身である東京電燈副社長就任。昭和7(1932)年、東京宝塚劇場(後の東宝)創立。昭和15(1940)年、第2次近衛内閣で商工大臣就任。昭和32(1957)年、死去。享年84歳。大仙院殿真覚逸翁大居士。元プロテニス選手でタレントの松岡修造はひ孫にあたる


【関連書籍】



 拙著。一三さんの波瀾万丈な生涯を描きました




  小林一三のビジネスに効く言葉 目次
 
  はじめに−時代を超越する仕事の極意
  自分の持つ長所を確信すること
  若い人にはなおさら夢がなければならない
  着想とは現在の仕事にベストを尽くす中から生まれる
  自分は運命論者であり、努力第一主義者である
  何よりも人間は独立自尊で生き抜かねばならぬ
  中小企業は金のある人には決してできない
  世の中とは本当におかしなものである
  青年の希望は達せられないのが原則と思わねばならぬ
  有用の材たらんとする青年は平凡でなければならぬ
  自分の計算から出発せざること
  事業の基礎を大衆に置く