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小林一三の『ビジネスに効く言葉』 (まいつき、一三!)

小林一三のビジネスに効く言葉


 中小企業は金のある人には決してできない



 独立するからといって、何もはじめから堂々たる店舗、立派な事務所を持たねばならないというものではない。相当な資金をもって仕事をはじめられるような恵まれた人は、世間にそうザラにはないはずである−。

 と一三さんは言っています。自らが独立した際、お金がなくて苦労した一三さんならではの言葉です。

 では、どうするか、です。

 一三さんのところに、ある時、著書を読んだという方から、次のような手紙が来たそうです。

 「自分は現在、地方に暮らしているが、主たる交通の手段は自転車です。そこで、自転車を持っている人間に聞いてみると、自転車のメンテナンスや保管の方法などの点で、十分な知識や技術がありませんし、そういった設備もありません。だから自分はそういう会社をつくりたい」

ということで、「それにはこういう店がいる、こういう機械も必要だ、だからいくらの金がいる」と書いてあって、これで事業として成り立つだろうか、という質問でした。

 これに対し、一三さんはこう回答しました。

 「まことに結構な思いつきだが、しかしそれだけあなたがその仕事に打ち込んでやろうというのであれば、まず自分で自転車の修理方法を習ってみたらどうでしょう。油にまみれて、自転車と取り組んでいれば、どの部品はどこにあるとか、どの機械はどこで買ったらいいということが、わかるはずです。

 まず、それらを研究した上で、あなた自身が近くの停車場付近ででも商売をはじめてみてはどうでしょう。はじめから人など雇わないで、自分一人で掃除もすれば修繕もする。そして、あそこの店へ預けておけば、帰るまでにはきれいに掃除してくれる。壊れたところがあれば直しておいてくれる。油も差しておいてくれる。非常に便利で重宝だということになって、そこにひとつの信用ができる。したがって店が繁盛する。

 そうなれば、あなた一人では手が回らなくなるだろう。その時になってはじめて誰かを連れてくる(雇う)。さらに今度は自転車の部品を売る。しまいには代理店にもなる。そうなれば、しかるべき場所に店を構えなければならない。それがものの順序です」

 以前、着想とは現在の仕事にベストを尽くす中から生まれるで触れましたが、一三さんの事業の進め方は、最初は本当に小さな思いつきぐらいのところからはじめて、少しずつ改良、改善して、最後の最後で大きな勝負に出る、というものです。

 大企業であれば、最初からドカンとお金をかけて、失敗しても「まあいいか」ですむのでしょうが、お金のない中小企業ではそうはいきません。

 お金がないなら、ないなりの事業の進め方があるだろう。そこに知恵を絞るのが中小企業の経営者であって、大企業の経営者とは違う、ということを一三さんは言っているのです。

 このような考え方の一三さんです。「大企業を辞めて、独立したい」と考えながらも、なかなか踏み出せないでいる人に対しては、こう苦言を呈しています。

 お金がないから独立したくてもできない、などということは屁理屈に過ぎない

 注)引用した本文の一部は、著者が現代語訳しています。

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小林一三

小林一三(こばやし・いちぞう)

明治6(1873)年1月3日、山梨県韮崎市生まれ。明治25(1892)年、慶應義塾大学卒業。翌年、都新聞に入社予定も直前に破談、三井銀行入行、大阪支店へ。明治40(1907)年、同行を退職、箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)の経営に参画。昭和2(1927)年、阪急電鉄社長。昭和3(1928)年、東京電力の前身である東京電燈副社長就任。昭和7(1932)年、東京宝塚劇場(後の東宝)創立。昭和15(1940)年、第2次近衛内閣で商工大臣就任。昭和32(1957)年、死去。享年84歳。大仙院殿真覚逸翁大居士。元プロテニス選手でタレントの松岡修造はひ孫にあたる


【関連書籍】



 拙著。一三さんの波瀾万丈な生涯を描きました




  小林一三のビジネスに効く言葉 目次
 
  はじめに−時代を超越する仕事の極意
  自分の持つ長所を確信すること
  若い人にはなおさら夢がなければならない
  着想とは現在の仕事にベストを尽くす中から生まれる
  自分は運命論者であり、努力第一主義者である
  何よりも人間は独立自尊で生き抜かねばならぬ
  中小企業は金のある人には決してできない
  世の中とは本当におかしなものである
  青年の希望は達せられないのが原則と思わねばならぬ
  有用の材たらんとする青年は平凡でなければならぬ
  自分の計算から出発せざること
  事業の基礎を大衆に置く