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小林一三の『ビジネスに効く言葉』 (まいつき、一三!)

小林一三のビジネスに効く言葉


 何よりも人間は独立自尊で生き抜かねばならぬ



 ここに出てくる独立自尊とは、言わずと知れた慶應義塾の創設者、福沢諭吉の有名な言葉です。一三さんも慶応の卒業生ですから、らしいと言えば、らしい言葉です。

 独立自尊とは、端的には、

 他人に頼らず自分の尊さを守ること

 ということになります。

 ただ、一三さんの場合、ただ慶応を卒業しているからと言って、単なるお題目として、この言葉を唱えていたわけではありません。人生の節目でのつらい経験に基づいています。

 明治時代の実業家で、岩下清周という人がいました。三井銀行の大阪支店長から独立して北浜銀行を設立。頭取に就任すると積極的な融資で関西経済の発展に貢献しました。

 一三さんとは、三井銀行大阪支店での、支店長とその部下、といった関係で、若い頃の一三さんはよく面倒を見てもらったようです。

 独立して鉄道会社を始める際も、岩下の北浜銀行がバックについてこそ、という部分がありました。

 ところが、その後、岩下はその銀行経営のあり方に関してマスコミから批判されて辞任。銀行も破綻してしまいます。そのあおりで、一三さんの会社も資金繰りに窮してしまいました。

 その時のことを、一三さんは『私の生活信条』(実業之日本社刊、1953年発行)の中で、こう回想しています。

 「世間の人間も、景気のいい時、調子の良い時は、何だかんだとちやほやついてくるが、いったん何かでつまづくと、人情薄きこと紙のごとしで、たちまち手のひらを返すように雲散霧消してしまう」。

 この経験から得た一三さんの教訓が、

 実に頼みがたきは人心である

でした。

 「自分自身をいつわらぬ、確固たる思想、不動の信念が何事をするにも一番大切である。他人を頼り、他人に期待することは一番いけない」。

と悟ります。

 こうした経験に基づく、独立自尊であって、「生き抜かねばならぬ」と強い口調で続けているあたりに、一三さんの決意のようなものを感じ取ることができます。

 ただ、ぼーっと聞いていると当たり前のことを言っているだけと思われがちですが、実は、ビジネスの修羅場をくぐり抜けてきた人間ならではの、重い言葉なのです。

 注)引用した本文の一部は、著者が現代語訳しています。

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小林一三

小林一三(こばやし・いちぞう)

明治6(1873)年1月3日、山梨県韮崎市生まれ。明治25(1892)年、慶應義塾大学卒業。翌年、都新聞に入社予定も直前に破談、三井銀行入行、大阪支店へ。明治40(1907)年、同行を退職、箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)の経営に参画。昭和2(1927)年、阪急電鉄社長。昭和3(1928)年、東京電力の前身である東京電燈副社長就任。昭和7(1932)年、東京宝塚劇場(後の東宝)創立。昭和15(1940)年、第2次近衛内閣で商工大臣就任。昭和32(1957)年、死去。享年84歳。大仙院殿真覚逸翁大居士。元プロテニス選手でタレントの松岡修造はひ孫にあたる


【関連書籍】



 拙著。一三さんの波瀾万丈な生涯を描きました




  小林一三のビジネスに効く言葉 目次
 
  はじめに−時代を超越する仕事の極意
  自分の持つ長所を確信すること
  若い人にはなおさら夢がなければならない
  着想とは現在の仕事にベストを尽くす中から生まれる
  自分は運命論者であり、努力第一主義者である
  何よりも人間は独立自尊で生き抜かねばならぬ
  中小企業は金のある人には決してできない
  世の中とは本当におかしなものである
  青年の希望は達せられないのが原則と思わねばならぬ
  有用の材たらんとする青年は平凡でなければならぬ
  自分の計算から出発せざること
  事業の基礎を大衆に置く