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小林一三の『ビジネスに効く言葉』 (まいつき、一三!)

小林一三のビジネスに効く言葉


 着想とは現在の仕事にベストを尽くす中から生まれる



 斬新な発想から数々の事業を立ち上げ、世間からはたいへんなアイデアマンと見られていた一三さんですが、『私の行き方』の中で、その発想法について問われた際、一三さんはこう答えています。

 着想はあくまで現状に即して自分にできる範囲の事でなければダメだ

 ビジネスの世界では、いつの時代も斬新な着想(アイデア)が求められます。皆さんも日々、新規事業の提案、業務改善案などを要求され、頭を悩ましているかもしれません。

 そのためでしょう。発想法についてのビジネス書も数多く出ています。

 これに対して一三さんは、時流にすぐに飛びつくようなやり方を、

 「世間には現在の仕事を投げやりにしておいて、今の仕事とは少しも関係のないことをいろいろ計画して、自ら天分を自負している人がいる。空想家、計画家というやつだね」

と一刀両断、批判しています。

 一方で、自分の事業については

 「よく世間では僕の事業は片っ端から当たるのを何か特別の事業哲学でもあるかのように聞かれるが、僕の事業は決して突如として現れたものじゃないんだ。僕の事業が生まれるまでにはみんな十何年も研究している」。(中略)

 「いよいよ東宝を始めるについては、すでに大正12年以来、宝塚に4000人の大劇場を作ってやってきたし、東京へも年に3、4回出てきて歌舞伎座と新橋演舞場を借りてやってみて、これなら天下取るべしと信じたから初めて東宝を作った次第である。僕の事業は何十年もの基礎工事があって初めて生まれてくるのだ」。

と語っています。

 少し説明をすると、映画会社の東宝は、昭和7年に東京宝塚劇場として設立されました。当初は、宝塚歌劇の東京公演の常設劇場の運営会社としてスタート。「東京宝塚」を略して「東宝」というのが、社名の由来です。

 一三さんにしてみれば、大正時代に大阪の宝塚で歌劇を始めて、少しずつ東京公演で実績を積み重ねた上で、いよいよもって本格的な劇場を作ったんだ、ということであって、ちょっとやそっとの思いつきではないんだと言いたかったのでしょう。

 ただ、ここで指摘しておきたいのは、かく言う一三さん自身、実は結構「思いつき」が多かったということです。

 一三さんに仕えた方々は、日々、一三さんから「これをちょっと調べてくれ」と頼まれる事が多くて大変だったと回想しています。これらは本当にちょっとした通常の業務に関する思いつきレベルの話でした。

 それでも、小さな思いつきから日々の仕事の中で試行錯誤を積み重ねた上で、最後の最後に満を持して大勝負に出る。だから失敗がないんたということだと思います。

 最後に一三さんはこう締めくくっています。

 着想とは現在の仕事にベストを尽くす中から生まれてくるものだ − これが僕の哲学だ

 注)引用した本文の一部は、著者が現代語訳しています。

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小林一三

小林一三(こばやし・いちぞう)

明治6(1873)年1月3日、山梨県韮崎市生まれ。明治25(1892)年、慶應義塾大学卒業。翌年、都新聞に入社予定も直前に破談、三井銀行入行、大阪支店へ。明治40(1907)年、同行を退職、箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)の経営に参画。昭和2(1927)年、阪急電鉄社長。昭和3(1928)年、東京電力の前身である東京電燈副社長就任。昭和7(1932)年、東京宝塚劇場(後の東宝)創立。昭和15(1940)年、第2次近衛内閣で商工大臣就任。昭和32(1957)年、死去。享年84歳。大仙院殿真覚逸翁大居士。元プロテニス選手でタレントの松岡修造はひ孫にあたる


【関連書籍】



 拙著。一三さんの波瀾万丈な生涯を描きました




  小林一三のビジネスに効く言葉 目次
 
  はじめに−時代を超越する仕事の極意
  自分の持つ長所を確信すること
  若い人にはなおさら夢がなければならない
  着想とは現在の仕事にベストを尽くす中から生まれる
  自分は運命論者であり、努力第一主義者である
  何よりも人間は独立自尊で生き抜かねばならぬ
  中小企業は金のある人には決してできない
  世の中とは本当におかしなものである
  青年の希望は達せられないのが原則と思わねばならぬ
  有用の材たらんとする青年は平凡でなければならぬ
  自分の計算から出発せざること
  事業の基礎を大衆に置く