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小林一三の『ビジネスに効く言葉』 (まいつき、一三!)

小林一三のビジネスに効く言葉


 事業の基礎を大衆に置く



 これは、自分の計算から出発せざることとともに、一三さんの事業観の本質を言い表している言葉です。

 いまさら言うまでもなく、電鉄、百貨店、演劇と一三さんの事業はみな大衆相手の事業ばかりです。これについて、一三さん自身は、

 「大衆本位の事業ほど危険のない商売はない。大衆から毎日現金をもらってする商売に貸倒れがあるわけじゃなし、商売がなければないように舵をとっていけばよい」(『私の行き方』)

と言っています。

 ただ、たしかに今でこそ、私鉄や百貨店は安定した事業と見られていますが、一三さんが活躍した大正から昭和戦前期の日本は、まだ、重化学工業全盛時代で、大衆相手の事業は水物と見られ、軽視されていました。

 「大衆を相手にする商売はとにかく水商売として識者や堅実な事業家から敬遠されがちであった。また、これをやる人は一攫千金、うまく行かなければ夜逃げしてもよいといういわゆる興行師的気質、山師気質でやっておった」(同上)

 一三さんのこの発言には、こうした社会的な風潮に対する反発的も含まれています。

 そこに近代的な経営手法の感覚を持ち込んで革新したのが、一三さんでした。単に従来通りのやり方で大衆相手に事業をしていたということではありません。

 まずお客様ありき、かつ理詰めで物事を考えていく。これは先にご紹介した、自分の計算から出発せざることの通りです。たとえば百貨店では、配達サービスなど例外扱いに。

 「私どもの考えでは、お客様に対する本当のサービスは良い品を安く売るにある、そのためには買上品は持てるものはなるたけお客様に持っていただいて、それだけ経費を少なくして品物を安く売るように心がけでいる」(『私の事業観』より)

 「すべて事業というものの目的および原則は単に営利は駄目である。自他ともに利益することによって繁盛する。すなわち供給の方面にも需要の方面にも、ともに利益があるので進歩し改良されるのである。いやむしろ、需要者の利益を主として尊重し、計画する方がかえって供給する人に利益の多いのが原則であらねばならぬ」(『私の行き方』)

 単に、大衆相手の商売をする、というのと、事業の基礎を大衆に置く、というのでは、言葉は似ていても、意味するところが全く違うのです。


 注)引用した本文の一部は、著者が現代語訳しています。

前の言葉 はじめに



小林一三

小林一三(こばやし・いちぞう)

明治6(1873)年1月3日、山梨県韮崎市生まれ。明治25(1892)年、慶應義塾大学卒業。翌年、都新聞に入社予定も直前に破談、三井銀行入行、大阪支店へ。明治40(1907)年、同行を退職、箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)の経営に参画。昭和2(1927)年、阪急電鉄社長。昭和3(1928)年、東京電力の前身である東京電燈副社長就任。昭和7(1932)年、東京宝塚劇場(後の東宝)創立。昭和15(1940)年、第2次近衛内閣で商工大臣就任。昭和32(1957)年、死去。享年84歳。大仙院殿真覚逸翁大居士。元プロテニス選手でタレントの松岡修造はひ孫にあたる


【関連書籍】



 拙著。一三さんの波瀾万丈な生涯を描きました




  小林一三のビジネスに効く言葉 目次
 
  はじめに−時代を超越する仕事の極意
  自分の持つ長所を確信すること
  若い人にはなおさら夢がなければならない
  着想とは現在の仕事にベストを尽くす中から生まれる
  自分は運命論者であり、努力第一主義者である
  何よりも人間は独立自尊で生き抜かねばならぬ
  中小企業は金のある人には決してできない
  世の中とは本当におかしなものである
  青年の希望は達せられないのが原則だと思わねばならぬ
  有用の材たらんとする青年は平凡でなければならぬ
  自分の計算から出発せざること
  事業の基礎を大衆に置く