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小林一三の『ビジネスに効く言葉』 (まいつき、一三!)

小林一三のビジネスに効く言葉


 自分の計算から出発せざること



 著書『私の行き方』の中で、一三さんは米国フォード社の創業者で当時、自動車王と言われたヘンリー・フォードの自伝から次の部分を引用しています。

 「今まで商売人の多くは、原料がいくら、製造費がいくら、その上に利益がいくらというふうにその原価を計算して、その機械なり製品を発売する。そして、それが資本の何割になるから有利な事業であるとか、あまりうまい事業ではないと判断する」。

 「私はそれではダメだと思う。なぜなら、それでは供給者が与えてくれるものに対して、需要しえられるだけの商売にしかならない。元来、商売なるものは、需要家の希望に応じて供給するのが原則であらねばならぬのに主客を転倒している」。

 こう考えたフォードが編み出したのが、有名なライン方式による大量生産システムです。

 フォードは、普通の米国民が自動車をいくらなら買うことができるかをまず考え、その値段で利益の出る車をどう生産すればいいのかについて検討を重ねた結果として、ライン生産システムを考案しました。

 フォード自身が車を発明したわけではありませんが、フォードが考案したこの生産方式によって安価な車が製造できるようになり、自動車が社会に普及していくことになります。

 後年、フォードの生産方式は大量生産の先駆けと言われてこの部分だけがクローズアップされる一方、なぜそのようなやり方を思いついたのか、もともとの発想の部分が忘れられてきた感があります。

 しかし、一三さんが着目したのはこの部分でした。

 「私はこのフォード式の経営法でなければ、これからの事業はおもしろくないと思いつつ、偶然にも数年前から、私の主張してきた大劇場の経営方針と一致した点を少なからず愉快に感じたのである」

と、『私の行き方』に感想を記しています。

 一三さんのいう大劇場とは、大正時代末に完成した宝塚大劇場に代表されます。その基本的な考え方は、庶民が芝居見物に出かけられるとしたらいくらが適当かをまず最初に考え、芝居の質を下げずにその値段を実現するために収容力を大きくする、といったものです。

 これは演劇分野についてですが、一三さんの事業の基本はすべて「大衆本位」であって、まず大衆の暮らしを起点に考えていきます。

 自分の計算より出発せざること

は、一三さんの事業スタイルを言い表す代表的な言葉なのです。


 注)引用した本文の一部は、著者が現代語訳しています。

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小林一三

小林一三(こばやし・いちぞう)

明治6(1873)年1月3日、山梨県韮崎市生まれ。明治25(1892)年、慶應義塾大学卒業。翌年、都新聞に入社予定も直前に破談、三井銀行入行、大阪支店へ。明治40(1907)年、同行を退職、箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)の経営に参画。昭和2(1927)年、阪急電鉄社長。昭和3(1928)年、東京電力の前身である東京電燈副社長就任。昭和7(1932)年、東京宝塚劇場(後の東宝)創立。昭和15(1940)年、第2次近衛内閣で商工大臣就任。昭和32(1957)年、死去。享年84歳。大仙院殿真覚逸翁大居士。元プロテニス選手でタレントの松岡修造はひ孫にあたる


【関連書籍】



 拙著。一三さんの波瀾万丈な生涯を描きました




  小林一三のビジネスに効く言葉 目次
 
  はじめに−時代を超越する仕事の極意
  自分の持つ長所を確信すること
  若い人にはなおさら夢がなければならない
  着想とは現在の仕事にベストを尽くす中から生まれる
  自分は運命論者であり、努力第一主義者である
  何よりも人間は独立自尊で生き抜かねばならぬ
  中小企業は金のある人には決してできない
  世の中とは本当におかしなものである
  青年の希望は達せられないのが原則だと思わねばならぬ
  有用の材たらんとする青年は平凡でなければならぬ
  自分の計算から出発せざること
  事業の基礎を大衆に置く