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小林一三の『ビジネスに効く言葉』 (まいつき、一三!)

小林一三のビジネスに効く言葉


 自分の持つ長所を確信すること



 「就職できない、出世ができない−。こういった考えから、若い人が処世術を一生懸命学んでいる。いかにすれば希望の会社に就職できるか、いかにすれば社内で出世できるか、このような処世術ばかり研究する現代の風潮は、若い人の持って生まれた天分を失わせる弊害がある」。

 と言ったのは、私(筆者)ではありません。昭和10年に出版された『私の行き方』の中で、一三さんが実際に書いた文章の現代語訳です。今のビジネス誌に載っていたとしても、全く違和感のない内容といえるでしょう。

 当時は昭和4年から始まった世界恐慌後の低成長下。経済的な行き詰まりが顕著となり、若者の就職や社内での出世が難しい時代でした。その点、バブル崩壊後の長期低迷にあえぐ現代と通じるところがあります。

 こういう時代になると、「いかにして」といった内容のハウツウ本が売れ、セミナーが活況になるというのは、人間社会の常なのかもしれません。

 一三さん自身、こうした処世術は無視できないが、と断った上で、こう述べています。

 「人にはその人のみの持つ天分があるものである。各自の持つこの天分にさらに磨きをかけて、光らせることによって、他人とは違うその人なりの個性が生まれるということが忘れられているように思う」。

 そして、次の言葉につながります。

 自分の持つ長所を確信すること

 「確信すること」と強い言葉を使っているのは、単に意識するというレベルにとどまるのではなく、「確固たる精神を持って、自分のみの持つ特色を発揮する力強い人物」という意味からです。

 「自らの長所をよく理解し、それをもって一本槍に進む人は、頑固であるとか、融通が利かないとか、愛嬌がないという上っ面の非難を受けるかもしれない。おそらくそれは事実である。しかしながら、それでもなお、自らの持つ長所を理解し、自らを活かしていくことが重要である」。

 一三さんからこうした言葉が出てきた背景には、当の一三さん自身があまり処世術に長けていなかったということがあります。

 この方は、どうも他人に合わせるということができない人でした。お世辞のひとつも言えない。愛嬌などない。そのため、銀行員時代は、自分とそりの合う上司には可愛がってもらったものの、そりの合わない上司とは、全く合わないまま。これでは銀行では出世できません。

 一方で、「痩身短躯渾身是れ智恵」(橋本凝胤=薬師寺元管主)と言われた一三さんの長所は、アイデアマンであること。その長所を活かすには、小さなベンチャーから新しいビジネス分野を開拓していくことだったと思います。

 ご本人もそこをよく承知した上での、自分の持つ長所を確信すること、であるのです。

 「私は若い人の多くが、世間一般論的な処世術にうつつを抜かすのではなく、自分の持つ長所をかえりみて、それに磨きをかけるようになってくれたらと願っている。それがまた、今日の閉塞観のある時代に要求される人物であると思う」。

と、一三さんは締めくくっています。

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小林一三

小林一三(こばやし・いちぞう)

明治6(1873)年1月3日、山梨県韮崎市生まれ。明治25(1892)年、慶應義塾大学卒業。翌年、都新聞に入社予定も直前に破談、三井銀行入行、大阪支店へ。明治40(1907)年、同行を退職、箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)の経営に参画。昭和2(1927)年、阪急電鉄社長。昭和3(1928)年、東京電力の前身である東京電燈副社長就任。昭和7(1932)年、東京宝塚劇場(後の東宝)創立。昭和15(1940)年、第2次近衛内閣で商工大臣就任。昭和32(1957)年、死去。享年84歳。大仙院殿真覚逸翁大居士。元プロテニス選手でタレントの松岡修造はひ孫にあたる


【関連書籍】



 拙著。一三さんの波瀾万丈な生涯を描きました




  小林一三のビジネスに効く言葉 目次
 
  はじめに−時代を超越する仕事の極意
  自分の持つ長所を確信すること
  若い人にはなおさら夢がなければならない
  着想とは現在の仕事にベストを尽くす中から生まれる
  自分は運命論者であり、努力第一主義者である
  何よりも人間は独立自尊で生き抜かねばならぬ
  中小企業は金のある人には決してできない
  世の中とは本当におかしなものである
  青年の希望は達せられないのが原則と思わねばならぬ
  有用の材たらんとする青年は平凡でなければならぬ
  自分の計算から出発せざること
  事業の基礎を大衆に置く