本文へスキップ

お知らせファミリーヒストリーの調べ方』

 【調べてみたらこうなった−家族史づくりの意外な効果編】
 その2 多様な歴史観を持てるようになる(上)



 家族史がわかることで、歴史を複眼的な視点から見ることができるようになることも、やってみてわかった事実です。

 私の場合、家族史を調べた後、教科書で習うような一般的な日本史のことを「社会史」と呼ぶようになりました。「家族史」という概念が新たに生まれたため、それと区別するためです。


        社会史        ⇔        家族史
    (一般的な日本の歴史)          (自分の家の歴史)


 家族史は大きな社会史の中で起きた出来事であり、また、影響も強く受けていて、相互に無関係ということはもちろんありません。ただ、社会史の視点とは異なる点に立脚しているので、時に全く違った歴史の様相が見えてきます。

 そこで改めて思ったのは、社会史というのは、おおむね中央の政治史のことであって、それは時の政権から見た史観のつなぎあわせに過ぎないということです。

 武士の時代はその典型で、社会史の鎌倉時代は鎌倉幕府(北条氏)から見た歴史であり、室町時代は足利氏から、織豊時代は織田氏、豊臣氏から、江戸時代は徳川氏からそれぞれ見た歴史と言い換えても良いでしょう。さらに幕末以降は、明治維新で勝者の側になった薩長から見た史観が優位になります。

 ところが、それ以外の立ち位置から歴史を見れば、また別の見え方がしてきます。

 特に私の場合は、歴史の勝者の側ではなく、敗者あるいは勝ち負けとは関係のない傍流の側の家系です。また、中央ではなく地方でした。さらに、武士もいますが、商人もいます。それぞれにそれぞれの歴史があります。

 そのため、その時々の先祖が置かれていた状況を調べていくと、自分の知っている歴史(社会史)とは違う、今まで全く知らなかった歴史が見えてきたのです。

 このことを一番痛感させられたのが、遠い先祖である秋山光朝を知ったことです。

 秋山光朝とは、おそらく大方の皆さんは初めて聞く名前でしょう。私自身も家族史を調べる前は知りませんでした。光朝を知っているというのは、一部の直系のご子孫か、生誕の地である山梨県南アルプス市付近にお住まいの歴史好きの方ぐらいだと思います。

 光朝は源平争乱の頃に生きた武将で、父親は加賀美遠光。遠光は甲斐源氏の嫡流とされる武田氏の祖、武田信義の弟になるので、光朝は信義のおいということになります。

 さて、源平の争乱と言えば、源氏対平氏の争いということになっています。ドラマなんかでは、横暴極まる平家の政権に世の不満が募り、全国に散らばる源氏一族がその嫡流である頼朝の元に集まって、源氏による政権を作ったように描かれます。

 しかし、本当にそうなのでしょうか?

 少なくとも、源氏の嫡流ではない甲斐源氏の側、さらに甲斐源氏の嫡流である武田氏ではない加賀美遠光や秋山光朝の側から見れば、決してそんな話ではなかったことがよくわかります。このあたりについて、さらに詳しくお話ししたいと思います。

前のページ 次のページ


 【関連書籍】